もしか 252知恵
あきない繁昌の知恵その252「満足>不満足」
たとえば、当期利益が○○になりそうだ。
あるいは、知人から△△をいただいた。
これを、も、と感じるか
それとも、しか、と思うか。
あきない繁盛の知恵その248「しなおす」
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二つのことがはっきりしているように思われる。
ひとつは、水先案内人になるためには、一人の人間が知りうる以上のことを学ばなければならないということ。
もうひとつは、その知識を24時間ごとに別の方法で学びなおさなければならないということである。
W・ベニス著『リーダになる』より引用
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上の言葉に従えば、自立を願うなら、人よりも学び続け、人よりも経験を積み重ね続ける必要がありそうだ。
それは、知識に依存するでもなく、経験を偏重するでもない、均整のとれたリーダーのあり方を、浮き彫りにする。
あるいはまた、一人の人間が知りうる以上のことを学び、経験を積むことによって、
自分以外の価値観、考え、立場、あるいは境遇、といった諸々を広く、時には深く理解する重厚なリーダーを、作り出すかも知れない。
ところで、Re、は、しなおす、新たに、再び、さらに現状に復す、を意味する。
うまくいっていなければ、学びなおし、うまくいっていれば、経験からさらに学ぶ。
リーダーが、うまくいっていないと感じる(もちろん、数字の面においても)ときは、よかったときに積み重ねた経験を体系化し、生じたギャップを埋めるために、学びなおす。
ギャップは、うまくいっていたときに学んでいた内容の全部、あるいは一部が、もはや通用していないことの証左となるからだ。
一方、うまくいっていないときと、うまくいっているときの学びが完全に一致する、と主張するのであれば、もはやリーダーに出来ることはない。
かかるリーダーは、いままでの自らの学びや経験といった努力を否定し、その成功は、風任せ、まぐれ、と言ってしまっている。
自社、あるいはリーダーとして(市場に)通用しない部分があることを受け入れ、学びなおす覚悟を決めるか、
市場に責任があると強弁し、学びなおす必要から目を逸らすか、
どちらを選択するかは、水先案内人たるリーダーの役割となる。
すなわち、うまくいっていないときにこそ、リーダーとしてのバランス感覚、重厚さが問われる。
その選択は、遅かれ早かれ、企業の行く末に直結する。
だからこそ、リーダーは、しなおす。
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あきない繁昌の知恵その247「もてなし」
2009年10月、国体での地元新潟勢の活躍に、ひそかにエールを送りながら、住み慣れた三条を後にした。
地名は同じ三条
しかし、はじめての三条
今度の三条は、宮城県仙台市青葉区、にある。
そして、転居して1ヵ月が経過
ようやく身辺も落ち着いてきた。
遅ればせながら、ひとこと
『新潟の皆さま、ありがとうございました。これからも、よろしくお願いいたします』
そして、
『宮城の皆さま、これから、よろしくお願いいたします』
急きょ決まった移転
そんなあわただしい日々のなかで、
ゆくときも、くるときも、
新潟と宮城、それぞれの方々に、
それぞれなりの、精一杯の“もてなし”をしていただいた。
できることを、できるだけ
やっている人は、当たり前のようにやっている。
じぁ、自分にできること、ってなんだろう。
あらためて考えさせられた、三条から三条への移転であった。
あきない繁昌の知恵その244「自律×自立」
『求めなさい、そうすれば与えられる』
は、新約聖書の有名な一節
しかし、
カミサマにも、
ホトケサマにも、
ご先祖さまにも、
家族にも、
知り合いにも、
誰に対してさえ、
○○してください、
○○けてください、
とは、
よほどのことがない限り、(無意識のメッセージとしてさえ)言わない。
なぜならその言葉は、
自らの権利放棄、
同時に、義務からの逃避
を、意味するから。
ところで、聖書はこうも言っている。
『人にしてほしいと思うことはすべて、行いなさい』
では、求めるのが先か、与えるのが先か
どちらが先かといえば、
子供のころは、求め、与えられることが権利である。
たとえば、ハイハイしている赤ん坊に、“自分でご飯作りなさい”は、あり得ない。
だから、与えられるのが先
…で、大人になったら、より多く与える。
これ義務
しかし、大人になってからも子供のころそのままの欲しがり屋さんに、気前よく与えてはいけない。
これも義務
子供のころ、与えられること少なかった人にはしんどいことと思うけれど、
それでもやっぱり大人になったら、1年、1か月、1日でも早く、
影が影のままである過去を引きずるよりも、その影が、今と未来を包む光の一部分にすぎなくなるよう、
自信を取り戻し、
自らを律し、
自立した存在として、権利を行使し、義務を果たす。
さて、聖書にはこんな言葉もある。
『成人したとき、幼子のときのことは捨てました』
あきない繁昌の知恵その243「心事と働きと相当すべきの論」
福沢翁曰く、
『人の心事は高尚ならざるべからず、
心事高尚ならざれば働きもまた高尚なるを得ざるなり』
と
続いて、
『心事のみ高尚遠大にして事実の働きなきもまた甚だ不都合なるものなり』
と
moraleも大事
成果も大事
しかし、moralなきmoraleも成果も、とても褒められたものではない。
その働きは、倫理や道徳に照らして、本当に正しいと言えるのか?
と、諭吉翁は問うている。
…と、読んでみた。
「学問のすすめ」より、たびたび引用
あきない繁昌の知恵その242「ノートを取る」
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もし、
あなたが失敗すると考えるなら、あなたは失敗する。
世の中を見てみろ。最後まで成功を願い続けた人だけが成功しているではないか!
すべては、「人の心」が決めるのだ。
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さて、この言葉
誰のノートに書かれていたでしょう?
答えは
ナンバー736号にあります。
あきない繁昌の知恵その241「千代に八千代に」
母の背におぶさり
父の背であそび
いつまでも小さいままと思うのは親の錯覚、あるいは願望
いつの頃からか肩を並べるようになり
気がついたら父の背を追い越していた。
大きくなったのは体と態度とうそぶくのは、同性としての焦燥、あるいは意地か
そして、たけくらべ
親の願望、あるいは同性の意地
いずれにせい、親が子に張り合うとロクなことにならない。
“自分を超えてはならない”
そういうメッセージから逃れたくて
そういうメッセージを我が子には発したくなくて
今まであがいてきたけれども
果たして成果や如何
そして、千代に
ところで彼は今、精一杯の勇気を振り絞って遠い異国の地へと旅立とうとしている。
かつて父である私があきらめた道を
親の背を小さい足でちょこちょこと一生懸命に追いかけてきた我が子が
いつの間にかたくましくなったその背中を向け
ほんの少しだけ振り返りつつ
それでも一歩一歩確実に
自分が果たすと決めたその先に向かって歩き始めている。
何かをおそれてあきらめるよりも、あきらめることによって何かを失うことをよしとせず
挑戦する勇気を振り絞った時点で
少なくともその点において、子は父を超えた。
そして、八千代に
繁昌とは、一家がますますさかんになるさまをいう。
子は親より
子の子は子より
代を重ねるにつれ、ますますさかんになっていく。
子が親を尊敬するのと同じくらい
親が子を尊敬し、かつ、その人格を尊重する。
そうして、親が子をみて
子が親をみて
互いのそれぞれの生き方あり方にほれて、まねて
家族システムに好循環をつくっていく。
そういう親子関係で、私はありたい。
無論このことは、同族経営の多い中小企業の社長と後継経営者の関係にも当てはまる。
“自分を超えてはならない”
社長は息子の影におびえて、彼の良さを損なっていないか。
“父を超えてはいけない”
息子は社長の意図を察するあまり、自分の良さを隠してはいないか。
一度、考えてみたらどうか
あきない繁昌の知恵その240「ハンデ」
ふたたび、茂木健一郎氏「セレンディピティの時代」より引用させていただく。
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制約になるのは、自身の才能と予算だけである。
ところが、これが往々にして無視することのできないハンデとなる。
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予算が有限であることを、ついうっかり忘れてしまいがちなのが行政
才能が無限であることを、疑いようもなく信じられるのは、どちらかと言えば大人よりも…こども
予算と才能
どちらもハンデという。
であれば、目に見えて制約のある予算の多寡を気にするあまり、せっかくの才能を押し込めてしまうよりも…
決して目には見えない自分の才能を磨くことに、勤しむほうがよい。
できればそれは、自分の才能を無条件に信じられる、こどものころから始めたい。
つまり、人生は有限
才能の多寡もありかも、試してみなけりゃ見つからないし、分からない。
あきない繁昌の知恵その239「受容」
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すべてはアンがもたらした新しい世界観を受容することから始まった。
『赤毛のアン』は、そういう物語としても読めるのである。
中略
世界中のどんな時代でも子供たちが愛するのは、
何かと出会い、
それを受け入れ、
自分が変化し成長し、
幸福になるという物語。
(引用:茂木健一郎氏「セレンディピティの時代」)
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特に、自分の価値観と相反する、あるいは想像すら出来ない事態を受け入れることは、時に、大変な勇気と覚悟を要することがある。
個人の経験
生まれ育った家庭の考え、習慣
近所、地域の総意
国や地球が歩んだ道、歴史
どれもこれもが、誰かの価値観であり、誰かの価値観ではない。
そして、相反する価値観が対面した時、そこに摩擦が生じる。
さらに、互いの価値観を押し通そうとすると、そこに衝突が生まれる。
かといって、やみくもに譲ってしまえば、その人の内面に摩擦が生じる。つまり、自分の中で衝突が生まれる。
そこで、受容
今までにない新しい価値観に遭遇した時、ゆったりと大きな心で、その価値観を受容する。
あるいは、その価値観を受け入れ難く感じた場合、それは、自分のエゴによって生じているのではないかと疑ってみる。
自己を否定するのではなく、他者を肯定し、その価値観を受容する。
続いて待つのは、アンの世界
つまり、出会い、受容、変化、成長、そして幸福
あきない繁昌の知恵その237「シークレットブーツ」
Mグラッドウェル「第1感」より引用
アメリカの大手企業500社の約半分にアンケートを配り、各社のCEOについて質問したら次のような結果となった。
A 男性CEOの平均身長は182センチであった。
なお、アメリカ人男性の平均身長は175センチである。
B さらに、前者のうち182センチを超えるのは58%と過半数を占め、後者の14.5%を大幅に上回った。
C 大企業のトップは、圧倒的に白人男性が多かった。
さて、著者、Mグラッドウェルは、この現象を、“見た目のわな”と呼ぶ。
見た目と(経営の)能力は、本来関係ないはずなのに、特徴的な結果となっている。
だから、見た目のわな
182マイナス175
その差、7センチ
それほどに、見た目が結果を左右するのならば、
いっそシークレットブーツでも履いてみるのも選択肢
…かも知れない。